Sumida’s History隅田鋲螺製作所の歴史
- 昭和16年
- 大阪市西区御池通にて、初代社長・隅田勝二が隅田勝二商店を創業
- 昭和21年
- 国鉄(当時)現在のJR及び東京・名古屋の鋲螺商社に卸販売
- 昭和25年
- 大阪市東住吉区平野に製造部門として平野工場を新設
- 昭和28年
- 株式組織「株式会社隅田鋲螺製作所」に改組
- 昭和29年
- 平野工場を大阪市東成区中本に移転
同時に製造部門を分離し、城東製鋲株式会社を設立
- 昭和36年
- 東大阪市荒本に530坪の土地を購入
城東製鋲株式会社を移築
- 昭和38年
- 東大阪市金物町に350坪の土地を購入
- 昭和41年
- 東大阪市金物町に鉄骨3階建を建築し、本社を全面移転
- 昭和45年
- 貿易部を分離し「株式会社スミダファスナー・カンパニー」を設立
アメリカ、東南アジア、中近東に直貿
- 昭和49年
-
株式会社隅田鋲螺製作所、資本金を3750万円に増資
東大阪に土地を購入、同年8月に流通センターを建設
- 昭和56年
- 札幌営業所を開設
- 昭和59年
- 代表取締役社長に隅田彰三が就任
- 昭和62年
- 八戸営業所を開設
- 平成3年
- 創業50周年記念式典(沖縄県)
- 平成4年
- 札幌市東区に130坪の土地を購入し、札幌営業所を新築移転
- 平成8年
- 創業55周年記念式典(シンガポール)
- 平成11年
- 株式会社隅田鋲螺製作所、他
隅田グループ総資本金5000万円に増資
- 平成13年
- 北海道帯広営業所を開設
- 平成15年
- 八戸営業所、八戸総合卸センターに200坪の土地を購入し移転
- 平成17年
- 工場を東大阪市宝町に移転(現在は休止中)
- 平成18年
- 東大阪市小阪にマンションを一棟購入、不動産賃貸業を開始
東大阪市金物町2-12の土地100坪を購入
- 平成19年
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東大阪市金物町2-12に城東製鋲株式会社本社を新築移転
同所に株式会社隅田鋲螺製作所 第二事業所を開設
9月八尾市新家町4丁目に土地200坪を購入
- 平成20年
- 1000パレット収納可能の新流通センターを新築
- 平成22年
- 山形営業所を開設
- 平成23年
- 創業70周年記念式典(韓国・ソウル)
- 平成25年
- 帯広営業所を移設
- 平成26年
- 札幌営業所を改築
- 平成27年
- 岩手営業所を開設
- 平成28年
- 秋田営業所を開設
岩手営業所・山形営業所を移転
- 平成29年
- ISO9001 認証取得
- 平成30年
- 秋田営業所を移転
- 令和元年
- 代表取締役に隅田貴昭が就任
- 令和元年
- 札幌営業所・帯広営業所の2拠点を、隅田鋲螺製作所へ改組
- 令和4年
- 岩手県北上市に「岩手デポ」を開設
History and Triviaネジの歴史と豆知識
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ネジとは?
ネジは「螺旋(らせん)状」の溝のある物の総称であり、大きく分けると外側(側面)にらせん状の溝が入った「雄ネジ」と内側(内面)にらせん状の溝が入った「雌ネジ」に分類することができます。
ビスもボルトもナットも全てネジの一種だと言えます。- ネジ
- ねじ山が切ってある物の総称。
- ボルト
- 頭部が四角形もしくは六角形の雄ねじの総称。
- ビス(小ねじ)
- 頭に直線の溝もしくは十字の穴がある小さな雄ねじの総称。
- ナット
- 締結部品の1つで、筒状の内径部分にめねじ(雌ネジ)が切ってあるねじ部品。
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産業の塩
日本の高度経済成長を支えたネジは”産業の塩”と呼ばれています。 地味で目立たないですが、産業になくてはならないものと言われその重要性から”産業の塩”と称されています。
ネジはモノとモノを繋げる役割がありますが、ネジによってモノが作られ、モノを介して人と人は繋がります。紀元前からの知恵が現在まで繋がり、産業を支えているのです。 -
ネジの始まり
尖った巻貝をヒントにつくられた?
ネジの起源について、「尖った巻貝をヒントにつくられた」、「木に巻き付いたツタ植物をヒントにつくられた」など、さまざまな説がありますが、現在、だれがいつ発明したのかは明確になっておりません。
紀元前280年頃には、アルキメデスがネジの原理を展開し、筒の中のらせん状のスクリューを回転させて連続的に水をくみあげる木製のポンプ装置が、最初に螺旋構造を機械に使用した例だとされています。 -
レオナルド・ダ・ヴィンチとの関連
水をくみ上げる用途などではなく、2個以上のものをつなげる用途のネジ(締結ネジ)は、1500年前後に、レオナルド・ダ・ヴィンチによって制作され、ネジ部品の利用が広まったとされています。
レオナルド・ダ・ヴィンチが残したノートの中に、ネジの製作のためのネジ切り盤やタップ・ダイスによるネジ加工の原理のスケッチが残されています。 -
日本におけるネジの歴史
- 天分12年(1543年)
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日本人は「火縄銃」で、初めてネジを見る
種子島にポルトガル船が難破しときの領主がそのポルトガル人より鉄砲2丁を購入それをもとに八板金兵衛に和鉄砲を作らせ鉄砲の尾栓に『ネジ』が用いられており、鉄砲伝来とともに日本に初めて伝わったとされています。
後に堺の商人が技術を習得し、日本各地に広がるようになりました。
- 徳川末期
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『ネジ』製造器を外国より導入される。
当時は軍需向けで、大砲の照準機や軍艦に用いられていました。
- 万延元年(1860年)
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一本のネジから日本の近代化が始まった
小栗上野介は「日米修好通商条約」の批准書の交換のため、日本の代表としてアメリカへ渡り、その後、ワシントン海軍造船所を見学した時、歯車やシャフト、それらを止めるネジを見て驚き「日本でもこのようなものを作れる国にした」と思い持ち帰ったのが1本のねじだったそうです。
帰国後、横須賀製鉄所着工に尽力してから造船所の建設に携わり、鉄道、新聞、ホテルに株式会社と近代化の礎を築いたそうです。
- 明治20年
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自転車の製造開始
外国商館による輸入が始まり、少量ながらまとまった数の自動車が持ち込まれるようになるなりました。
また機械商や地金商が英国から大量のねじを輸入するようになりました。
明治30年代には、ねじ専門商社が生まれ、大阪立売堀にねじの問屋街が出現したのでした。
- 明治36年
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ヘッダーマシン(冷間圧造機)が輸入される。
- 大正初期
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東京隅田川周辺にネジ工場が、大阪安治川周辺にボルト工場が並び始める。